仕事ってさ

 日曜だというのに、実家の電話は朝から時々鳴っていた。そのたびに目を覚ましては何事なんだろうと思っていたのだが。結局9時半頃に起こされ、朝ご飯を食べる前に理由が判明。母がつい最近まで勤めていた病院の先生が亡くなったとのことだった。
 先生は89歳。ある商店街の中にあった個人診療所の先生をしていた。私が小学校に上がって少ししてから母が勤めだした病院だったが、小学校の近くにあったため、土曜日などは私はそこに「帰り」、母の仕事が終わるのを待って一緒にお昼を食べて家に帰ったものだった。そのころからおじいちゃん先生だった。おじいちゃんでも、すごくしっかりしていて、青年時代をアメリカで過ごしたので英語はぺらぺらで英字新聞を読みこなし、背筋がしゃきんと伸びていて、物知りで、絵も上手で、おだやか。往診には自転車で行った。自分より年の若い患者の所に自転車で往診に行くと、看護婦さん達は笑っていた。仕事が好きで好きで、私は、往年の「きんさんぎんさん」と同じように、何だかいつまでもそこにいて、ずーっとお医者さんをやっている人のような気がしていた。
 80を過ぎてからは結構病気もされていて、心筋梗塞を2回、手術を2回、胃も半分以上取っていたような…。それでもやっぱり仕事が好きで、入院中の病院から自分の病院の様子を聞いたり(大学病院から代理の先生が来ていた)、「早く退院する!」と言っていたりしたらしい。
 私が最後に会ったのは、私が卒論を書くために、方言のデータを取らせてもらいに行ったときだ。年代別のデータが欲しかったので、病院の待合室に入り込ませてもらって、そこでデータを取ったのだ。最初に「年寄り代表で練習すれば!?」と言われて、先生に方言のデータを取らせてもらった。診察室の椅子に座っている先生の姿が自然すぎて、もう、あと何十年でもそこに座っていそうな感じだった。すっかり標準語になってしまっている先生だったので、広島弁のデータには役に立たなかったのだけど…。
 そんな先生も、数年前から耳が聞こえなくなり、ぼけも少しずつ出始め、周りから「もう病院を閉じましょう」と散々言われた。去年の冬にようやく先生も納得し「閉じる」と言った。(でも次の日に「やっぱりまだやる!」と言って大騒ぎになったらしいが…) 今年の2月いっぱいで閉院。4月の頭まで母も片づけを手伝いに行っていたようだ。私の転勤のことで電話をしてきた母が、愚痴を言っていた。
 「31日にね、もうこれで終わりですから。お疲れ様でした、ってあいさつしたらね
  先生が『明日は来ないの?』って言うのよ。全くねー」
 閉院そのものが先生の本意ではなくて、先生は仕事がしたくてたまらなかったのだから、何となく離れがたかったんだろう。
 やりがいを無くすとぽっくりいく、って言うけど、そのまんまだった。もしかしたら、天国で聴診器を持って待ってるかもしんない、そんな気までする。
 私はそこまで仕事、できてるかな。仕事、好きかな。それだけの仕事を持ちたいと思うけれど、どうなんだろう。立場とか、男女の違いとか、いろいろあるけれど、仕事を先生の半分くらいでも好きになりたい。そう思う。
 そうそう。先生、出身校が同じなんですよね。先輩。母校は創立100周年でお祭りですよ。