明智光秀

 「歴史上の人物で一番誰が好き?」と聞かれて「明智光秀」と答える人を、私は自分以外に知らない。
 きっかけの記憶は鮮明。今はもういない父方の祖父に連れられて焼き物の絵付けに行ったとき、好きだった(今も好きだが)桔梗の絵を描いたら「おっ。水色桔梗は主君殺しの旗印」と言われ、当時小学校低学年の私には理解できるわけもなく、後で祖父や父に教えてもらってやっと理解した。裏切り者、と聞いても桔梗を嫌いになったわけではなく、むしろさらに好きになり、そう呼ばれた人に興味を持ったくらいだ。ノートの隅っこなどに進んで描いていた気がする。
 後の記憶は曖昧。歴史の授業には大して出てこないし、イメージは悪いし。中学生の時にけっこうごつい文庫本上・中・下3巻セットで「明智光秀」というタイトルの歴史小説を見つけて読んだ。読むのが大変だった記憶がある。私のハンドルネームは、その小説に出てくる光秀の長女の名前。今では養女の綾乃という説が有力らしいが…。(というか、綾戸ってその小説でしか見たことない)ま、気に入っているので気にしない。
 光秀が好きな上に粗暴な信長が好きではないので、信長関連のものはあんまり見ない。しかし光秀視点から見た資料はあまりに少ない。なかなか知識を増やせないでいる。
 だから、今日やっていたドラマは興味深かった。唐沢寿明主演の「明智光秀」。切り口が斬新で驚いた。史実ではライバルで、一番苦手だったであろう秀吉との心の交流。生真面目で堅物、しかもインテリの光秀には、信長より接しにくかったのではないか。もちろん秀吉側にしたって同じだ。だからこそ、上川隆也が演じた信長のセリフが生きる。「お互い補い合え」と。ドラマの中ではお互い相手を煙たいと思いつつ、でも自分にないものを相手が自然に持っていることをうらやましく思い、お互いに「それ」があれば更に信長に好かれるのではないかと考えているように見えた。
 光秀が求めたことは、ドラマにもあったように民の平安だ。「武士の嘘を武略という。仏の嘘を方便という。土民百姓のなんと正直なことよ」という、小説の中の光秀のセリフ。(資料もあったはずだが忘れた。今その本がないもので) 正直に、誠実に。それが高じた上での、主君殺しのレッテル。
 「このドラマはフィクションです」という最後の画面にため息をついた。確かにフィクションだ。光秀は逃げるときに山中で野武士に殺された。それが史実なら、正面切って秀吉と撃ち合ったドラマのシーンはフィクションだ。だけど、このシーンが真実であってくれたらという思いはぬぐいきれない。それなら、光秀の魂がどれだけ救われるのかと。光秀が秀吉をどう思い、秀吉が光秀をどう思っていたのかは解らない。でも、「そうであってくれたら」と、世間では珍しい光秀好きは願うのみだ。秀吉が後に作り上げた世界が、光秀の願う平安な世の中であったかどうかは…別だが。